合気道とは常に自在なものなのである

ここんところ読んでいる「合気道真諦 ー大型本 – 1986/4/1 植芝 吉祥丸 (著)」
読んでいて、興味を引いた文をちょっと引用。

相手がいかに社会的地位の高い人でも、道場では自分の意に反したり、礼儀をおろそかにすれば、衆人の中でどなりつけた。・・・・きのうきょう入門した人たちも、そのような社会的地位の高い人たちも、盛平には同様の門人でしかなかった。・・・陸軍大将が腹を立てても、盛平は平然としたものだった。彼にとってはそれが当然のことだったのである。
このような盛平であるから、門弟に自ら手をとって教えるときは、相手の力量に合わせて稽古をした。小学校の一年坊主には、自分も一年坊主になって技を教える。しかし、実はこれが合気道本来の考え方なのである。植芝盛平は、なにも意図的に相手の力量に合わせたのではない。合気道とは、このように常に自在なものなのである。


「合気道とは常に自在なものなのである」っていうフレーズが何故か心に残るのでした。
私自身が何かと無意味なものに縛られてしまっているからなのか・・。

以上



コメント
コメントする








   

表示タイプ変更 スマホ版



自己紹介

profilephoto整体の安穏亭 院長
'73年香川県生まれ
'07年開業し現在も直す技術を研究中。
*コメントは承認後公開
趣 味)
合気道・・・三段。武術を通して身体操作の原理を研究。
自転車・・・四国、九州一周、しまなみ海道は妻と。とびしま海道は子供達と。

カテゴリー

広島ブログリンク

ブログのランキングに参加しているので、クリックしてもらえると助かります。
広島ブログ
                 

アイテムBox

---AccessCounter---
累計:
本日:
昨日:
-----------------------

【ブログ内検索】
        

最新記事

関連サイトへのリンク

        

最新コメント

月別まとめ

others

プロフィール

Search

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM